就職後、身の程に合わない大抜擢

私が就職活動の自己PRで盛り過ぎて、後々予想外の大抜擢に巻き込まれたお話をさせていただきます。私は大学3年生の時に世間一般の例に漏れず、就職活動をしていました。3年生の3月、就活が始まってまだ3ヶ月でしたが、当時の私は内定が取れない事に非常に焦っていました。周囲の友人が私を残して皆大企業や希望通りの会社に内定が決まっていたからです。

血迷った私は、それまでずっと志望企業にはねられてきた自己PRに手を加えました。内容を盛りました。一の事実を十に膨らめて自己PRを書き直しました。 私は自己PRのテーマとして中高一貫校の学校で中学と高校の両方で陸上部の部長をしていたことを主軸において書いていました。最初は部長として部をまとめていたという、いわゆる最低限の部長としての仕事をしていたことを書いていました。しかし、それではパンチが弱いと判断し部内の事件を加えました。当時は些細な問題でしたが、それを自己PRの文面の中で大事の問題に膨らませました。一週間で解決した問題でしたが、部活分裂の危機にまでしました。それに対処する自分はさも当時から自分の立ち位置を理解し、調整役として尽力した、としました。

そのおかげか無事に入社し、私が配属された部署はノルマの厳しい重労働が必要とされる営業部署でした。私はその部署の会社創立史上初めての女性社員として入社しました。そこから私のプランが崩れ始めました。

人事や会社の重役からしきりに「君は我が社最初のこの部署の女性社員だ。このまま幹部候補として働いていってくれ」と声をかけられました。入社式から特別扱い状態でした。まず、上昇志向の強い同期から睨まれました。研修の合宿中に配属先の支店長からは皮肉をこめて過保護に気遣われ、他の課の女性先輩社員からは嫌がらせを受け、直属の上司からは腫れ物に触るように扱われてきました。社内のこうした環境は真綿で私の首をゆるゆると締め上げていきました。

元来負けず嫌いな性格で、そうした評価を覆すためにノルマを十二分にこなしてきました。しかし、それすらも周囲には鼻についたそうです。状況は悪くなる一方です。そうした周りがほぼ全員敵である状態が続いて2年、私の胃にはついに穴があきました。そのまま病気を理由に退職しました。

その後の女性起用のプロジェクトがどうなったかは分かりません。 私は特別扱いは全く嬉しくありませんでした。理想は自分がいつ辞めても支障がないような立ち位置で必要なだけお金を貯めて、お金が貯まったらすぐにでも仕事を辞めようと思っていました。私はこの企業でずっと働き続けるつもりはありませんでした。私は舞台関係のある企画を進めていくための準備期間として、この企業に籍をおいておこうとしたのです。それがまさか、今後の女性社員の起用の指針を決めるポジションに置かれることになるとは思っていませんでした。

今はただ資金を稼ぐために、昔大学時代にお世話になっていたスナックで雇われママをやっています。安定も保障もありませんが、順調に企画のための資金が貯まりつつあります。最初からこっちの道にくればよかったのではないかと思います。

大学生の当時、私は大学を卒業したら必ず就職しないといけないという固定概念にがんじがらめにされていました。私は就職活動をする前に、まず「会社に就職するかどうか」という就活のスタート地点に立つかどうかの選択を考えるべきだったのでしょう。あの会社での二年間は胃の穴と引き換えにある種様々なことを私に教えてくれました。選択を間違えたとは思いましたが、後悔はしていません。 就職活動に限ったことではありませんが、ただその世界に入る事に焦点をあてると、入ってから予想外のことに巻き込まれます。入社後にギャップに苦しまないよう、最初から正直に全てを人事に示し、折り合いをつけていくべきなのだと思います。